第211号 ウサギに何を学び、カメに何を学ぶか

ご存じ、童話「ウサギとカメ」

ウサギとカメが徒競争をして、
遅いはずのカメが勝った話です。

いくら才能があったって、怠けちゃダメです。
才能が無くてもコツコツ努力をすれば勝てるのです。
いかに日々の努力が大切かを教えてくれる童話です。

囲碁も、才能がないから辞めるなんて
言っていないでコツコツ努力しましょう。
きっと、才能があっても怠けている人を抜いて
上達します。


・・・そんなありきたりの話を私がするようになったら、
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実は童話は子供のためだけのものではありません。
子供と大人の両方への教訓を持っています。
ウサギとカメの双方からの疑問を大人用に解明すると・・・

(1)なぜ、ウサギはカメに負けたのか?

ウサギはカメに負けたわけではありません。
誰が何と言ったって、
ウサギはカメより速いのです。
ウサギがカメに負けることがあると考える方が
頭がおかしいです。

ウサギはカメを見たから負けました。
そもそも勝てると思ったから勝負を挑みました。
相手など見ずに、自分の持つ力を目いっぱい出して
マイペースで走れば負けなかったのです。

カメを見て、
ずいぶんと後ろの方にいたから
楽々勝てそうだと思ったから
手を抜いて昼寝をしました。
そして負けました。

カメに負けたわけではなく、
休みたいと言う誘惑に負けたのです。
つまり、自分に負けたのです。
昼寝してたらカメどころか、
カタツムリにも負けてしまいます。

あなたは
対局で相手が弱いと思って
加減して負けたことありませんか?

相手が誰であれ、
自分のベストを尽くすのが
勝負です。

(2)カメはなぜ自分に不利な挑戦を受けたのか?

ウサギが速いのが分かっているのに、
あなたがカメなら
ウサギの言う徒競争の勝負に乗りますか?

人間の話に変えれば、
あなたが運動は得意だけど、
頭はよくない生徒だとして、(失礼)
クラスの優等生がテストの成績で勝負しようって、言ってきたら
その勝負に乗りますか?

乗らないでしょう。

乗らない。
なら、どうします?

鉄棒の大車輪で勝負しようとか、
水泳で勝負しようとか
言いませんか?

そう、カメは
自分の不得意なところで勝負をするという
大きな戦略ミスを犯しました。
カメは陸上ではなく、水場で勝負をすべきだったのです。

カメはたまたま勝ちましたが、
陸上ではカメが2度とウサギに勝つことはありません。
勝ったからいい、結果オーライではないのです。

あなたは
自分の石の少ないところで
勝負を仕掛けていませんか?
弱い場所で戦いを仕掛けていませんか?

カメが陸上でいウサギに戦いを挑むようなことを
していませんか?

戦いは
自分に有利なところで仕掛け、
自分の不利なところで
相手から戦いを仕掛けられても
ムカッとして乗ったりしてはいけません。

戦略を意識するようになると、
あなたの囲碁は初級者、中級者を脱皮します。

15:31 | Comments (0) | Page Top ▲

第210号 石を攻めるな、心を攻めよ

囲碁は戦いのゲーム。
戦いにおいては、攻めと守りは永遠のテーマです。

攻めが先か守りが先か?

これに関しては
『攻撃は最大の防御なり』ということわざがあります。
このことわざは、人生の格言やゲーム理論としては
非常に微妙で、該当しないケースが相当あると思います。

もともと人の心は弱いので、
守りより、攻撃だ!
と諭した方が
消極的な人にはちょうどよい、
というのがことわざの真意だと思います。

皆が聞きたくない、
優等生的な解答になってしまうことを恐れぬなら
攻めでも守りでもありません。
正解は「攻めと守りのバランス」です。

『攻撃は最大の防御なり』
このことわざを知ってか知らずか
碁打ちには
特に初心者・中級者には
攻撃一辺倒や守ってばかりの両極端な人が多いようです。

まあ、バランスを意識しても、
性格を反映してどちらかに偏るのが普通です。
どちらが良いか?
微妙です。

囲碁の場合は、守りを重視する傾向があるのは事実です。
私の経験上も、
攻めて大崩れすると中押しで決まってしまいますが、
守って敗勢になってもばん回可能な程度のことが多いです。

可能性がある限り
敗勢でも勝負を捨てない。
転んでもただでは起きない。

人生も囲碁も
そんな粘り強さが必要です。


『フリカワリ』という囲碁用語を聞いたことがあるでしょうか。
お互いに別の場所を攻め合った場合、
意地もあって、どちらも方向変換せず、打ち進め、

白の勢力地と思われたところが黒の陣地に変わり、
黒の勢力地と思われたところが白の陣地に変わる。

その結果、どちらが得したか?
どちらのケースもあります。

要するに、
攻めても負けることなど日常茶飯です。
守っても負けることなど日常茶飯です。

プロでもそうです。
なぜか?

読み切れないのです。
正しい定石や手筋を知っておくのは当たり前としても。

実戦では
定石外れや手筋ならぬへぼ筋であっても
その場では、その局面においては
それが正しい、ということが例外とは言えないくらい
たくさんあります。

こうなると
技術面では限界が見えてきます。

中国の三国時代の武将「馬謖」は
「城を攻めるは下策、心を攻めるが上策」と語ったとかいいますが

囲碁もしかり。
石を攻めるな、心を攻めよ

盤面にある、すでに打たれた石は
打ち手の過去の意思です。
その盤面上の石を攻めるのは
まさに石を攻める凡手。

過去の意思より、
これから相手が打つ石、
つまり、相手の将来の意思、心を攻めるのです。

冒頭に言った通り、
人の心は弱い。
正しいことを信じ切れずに迷う人ばかりです。

自分の知識、感性を信じて自信を持って
心も身振りも堂々と打ちましょう。
定石ではしっくりこないなら、
定石外れを打ってもかまいません。

しかし、迷いながらではなく策ありという顔で
堂々と打たなければなりません。
相手の心を
「えっ、そうなの???」
と迷わせれば勝利の女神は自分に味方してくれるでしょう。

もし、自分が間違えていたら
知識として吸収すればいいだけのこと。
戦国武将と違って、
負けても命まで取られません。

しかし、
心を攻める技は
間違いを正して自分の知識として吸収することが
できない人には向かない高等戦略なのです。


13:25 | Comments (0) | Page Top ▲

第209号 覚えることと考えること

いろんな人がいろんなことを言うから
こんがらかってしまう・・・
って、思ったことないですか?

名前は言いませんが、
あるプロ棋士は
詰碁には2つの勉強の仕方がある
と言いました。

1つは
考えて詰碁を解くこと。

もう一つは
先に答を見て覚えること。

言い得て妙です。
わからない問題を
いくら時間をかけて解こうとしても
時間のムダ。
わからないんだから、
わからないんです。
それを考えてもムダ。

それを聞いて
15級のAさんはそれ以来、
詰碁を考えずにすべて答を先に見てしまう
ようになりました。
すべて、です。

案の定、
Aさんはいくら勉強しても上達せずに
結局、囲碁をやめてしまいました。

この誤解は
覚えることと考えることを
区別しなかったことによって生じました。

このプロ棋士の言っている、
詰碁の2つの勉強法は正しいのです。
でも、
このプロ棋士は言葉が足りませんでした。       
Aさんは理解が足りませんでした。
    
詰碁には形の急所や死活の手筋など、
あらかじめ基礎として覚えていなければならないことが
あります。

それを学ばずに、
詰碁を解こうとしても
すべての詰碁が解けません。

答を先に見る勉強法というのは
それによって基礎を勉強するということです。
その基礎を勉強したら
実際に解けるかどうか
詰碁の練習問題を解いてみるわけです。
頭を使って、考えて・・・

このときにも答を先に見てしまったら
実戦力が付きません。

正しい学習法は
基礎は覚え、応用は考える。

具体的には
たとえば、
隅の形の急所の「二の一」
を覚えたら、
その関連の詰碁の練習問題を考えて解く。

隅の狭い場所で生きるための「フトコロの広げ方」
を覚えたら、
その関連の詰碁の練習問題を考えて解く。

つまり、死活のテーマごとに
基本例題で基本を覚えて学び、練習問題で応用力を考えてつけていく。
これが死活マスターの体系化です。

難易度もテーマもアットランダムに
解いていくだけでは、
ものすごく、学習効率が悪いのです。

この正しい詰碁の勉強法を指導している
囲碁教室や棋書が果たしてどれだけあるでしょうか。

この正しい詰碁の勉強法を実践している
囲碁学習者がどれだけいるでしょうか。

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第208号 質より量に学ぶ

ある陶芸教室でのこと。

よりよい教え方を模索する熱心な陶芸の先生が
あるとき、
生徒たちを「質グループ」と「量グループ」
の2つのグループに分けて
別々の方法で指導しました。

質グループには良い作品を1つだけ作りなさいと指示しました。
その一つの作品で評価をします、と伝えました。

量グループには試行錯誤で良いからたくさんの作品を作りなさい、
と指示しました。
そして、
作った作品の数と総重量で評価をします、と伝えました。

その、結果は・・・

皮肉なことに、
高い質を持つ作品は、すべて「量グループ」から提出されたものでした。
質のいい作品を要求したのは「質グループ」のはずだったのに。

なぜ質を求められていなかった「量」グループの生徒たちが、
質で上回る結果を出せたのでしょうか?

「量」グループの生徒たちは、
多くの作品を作る過程で失敗を繰り返すことによって、
多くのことを学ぶことができたのです。

それに対して「質」グループの生徒たちは、
最高の作品を作るための準備や理論武装に時間をかけて、
結果的に質の高い作品を作るための技能を身に付けることが
できなかったわけです。

この陶芸教室の話で重要なのは
『量の中で失敗を繰り返すことによって学んだ』
ということです。

囲碁では
失敗=負け
数多く負けなければダメだと言うことです。

限られた同じ時間内で
何局も対局すれば、
その中の失敗を糧(かて)にして学ぶことができます。

慎重に、ミスのない対局を丁寧に打ってみよう、と
プロのように
1日かけて1局打ったとしても
それだけではたいして上達はしません。

質の大切さを強調することもあります。
でも、
質は大事です、
という場合の質は1回でもいい
ということではないのです。

同様に
量は大事です、
という場合の量は質が悪くてもいい
ということではありません。

陶芸教室の量グループの生徒たちも
いい加減に数を作ったわけではなく、
1つ1つ精一杯作ったけれど、
細かいところにはこだわらずに数をこなすことによって
多くを学んだと言うことです。

質を踏まえた上でこなす量でなくては
量の意味がありません。

囲碁においては
すべてを完璧に打とうとするのではなく、
たとえば
(1)布石を間違えなく打ってみようとか、
(2)石を殺されないように打ってみようとか、
(3)いつも夢中で打っているためできていない
   形勢判断を対局中にしてみようとか、
(4)ヨセで先手を取れるよう注意して打ってみよう
とか。。。

1局ごとに
目的を持って打つのが囲碁の場合の「質」です。
何万局打ったとて、
ただ勝つ快感を得たいだけで打つ碁では
まったく上達はしません。

質x量=上達
質と量、
どちらかがどんなに多くても
もう一方がゼロなら上達はゼロです。

どちらかがどんなに多くても
もう一方が1なら上達の相乗効果はありません。

両方を適度に増やすことによって、上達の速度が速まります。
質を備えた量が
無敵です。

個々の対局でどんなに負けようが、
上達スピードではだれにも負けないのです。

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第207号 出る杭は打たれる。でも、・・・

ことわざや格言は物事の一面を説いたものが多く、
それだけがすべてではありません。

ことわざや格言には逆のことわざや格言もあるという話は
以前したことがあります。

たとえば、
「君子危うきに近寄らず」
に対して
「虎穴に入らずんば虎児を得ず」
という真逆のことわざもあるわけです。

要するに
臨機応変、状況にあった行動を自分で考えて実行しろ、
ということだと私は理解しています。

囲碁の場合もしかり。
囲碁格言がすべての場合に当てはまるわけではありません。
定石がどのような局面でも通用するというわけではありません。

もうひとつ、
格言には真逆だけでなく続きがあるということ
をご存じでしょうか。

「出る杭は打たれる。」
ということわざがあります。

優秀だったり
でしゃばったり、目立ったり
する人間は
何かと攻撃されやすいという意味のことわざです。

たしかになあ、と思います。
有名人はちょっとおかしな行動をとると、すぐ
世間やマスコミのバッシングに遭います。
普通の一般人がとった行動なら
何も言われないレベルのことでもです。

野球の話ですが、
私は王選手や長嶋選手の悪口を
聴いたことがありません。
あれだけ「出た杭」なのに。

現役時代も
監督時代も
今も。

もっとも、当時の相手チームのピッチャーには
マークされ、打たれたかもしれません・・・
いや、それでも打たれたのは相手のピッチャーの方でした。

「出る杭」なのになぜ打たれなかったか。
完全な人間だったから?
完全な人格者だったから?
天才だったから?

いえ。
それは
「出る杭」ではなく、「出すぎた杭」だからです。

「出る杭は打たれる。」
ということわざには秘密の続きがあります。

「出る杭は打たれる。
でも、出すぎた杭は打てない」
のです。

打とうと思っても、
高すぎて、誰もそこまでハンマーを持ち上げられないのです。
どうせ出るならそこまで出なければだめ、なのです。

実は
囲碁格言にも

裏や続きがあります。


あなたが格言や定石に則って打った手は
正しい手であって、
その意味で「出る杭」かもしれませんが、

ただ、それだけでは
「出すぎた杭」ではないのです。
ちゃんとした手を打っても、
それを打ち返す手はいくらでもあるのです。

それは相手が正しい手を打った場合も同じです。
正しい手を打たれたからと言って
こちらに手がないというわけではないのです。

ここでただ、定石を打てばいいのだろうか。
ほかの定石の方がよくないか?

また、
定石外れのようであっても、
実は正しく打っている相手の方が
困ってしまう手もあります。

もう、ひと工夫することで
「出すぎた杭」にならなければ
人より強くはなれません。


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